心の天動説から地動説への転換

昆虫に「心」はない。餌があれば食べ、棒で突つかれると逃げる。

これらはすべて反射行動で、あらかじめ食べたいと「意識」したり、怖いと感じているわけではない。


そして、人間の行動も基本は昆虫と同じで、すべてが反射行動。

単一の「心」なるものが、意識して行動を起こすのではなく、脳内に無数にある神経系統の一つ一つのモジュールが外部からの知覚刺激を受けて反応し、その反応の多数決で最終的な行動パターンが決定されるという。


ただし、人はその行動をあとから「こうしたい」と「意識」する仕組みがある点で昆虫とは異なる。


すなわち、人が指を動かす場合、「指を動かそう」と意識してから指を動かすのではなく、脳からの指令で指を動かし始めたあとで、人は「指を動かそう」と意識するのである。


後から意識しているのに、人が行動の前に意識しているように感じるのは、時間的な「錯覚」である。


こうした時間的な錯覚に基づき創造された「私」が、何となく寂しいとか、ワクワクする喜びなどの情緒的な質感(クオリア)を感じるのは、生存に有利となるよう、「エピソード記憶」にメリハリをつけて記憶するため進化の過程で人間が獲得した「幻想」に過ぎない。


すべての行動を予めトップダウンで集中管理する「私」というものは、存在しない。




だからこそ、今を大切に生きよう


心の中に「私」がいて、「私」が意識を持ち、喜怒哀楽を感じる。


「私」を私と感じる「私」とは何か。


「死」とは何か。


こうした人間の根幹に関わる問いかけに、仏教の「悟りの境地」と対比しつつ、「私」というのは所詮幻想に過ぎないのだから「死ぬのが怖い」と思う必要はない。


死よりも、奇跡の生に目を向けよう。


やりたいことからやればいい。生きたいように生きればいい。


深くリラックスして、今だけに集中して生きればいい。