活きる [治癒(heal)]

治癒とは、「人生により多くの意義と、幸福と、健康な行動をもたらすこと……わたしたちがあとどれだけ生きるとしても、いますぐ始めるべきこと」です。

 

治療の世界は治療家にとっての「病気を治す」競争に陥ってしまうこともありますが、治癒という現象においてはそもそもその必要がありません。

 

生まれつきの病である先天性の心疾患の方もいらっしゃいます。生まれつきの状態が、多くの人とは異なっているわけです。

ただ、その状態がその人にとって異常だというわけではないと思います。

その生まれつきの状態を前提とした上で、その中で全体の調和がとれた状態というものが大事なのです。

それが生きているということです。

 

その人から先天性の疾患が取り除ければいい、病がなくなればすべてが解決する、という単純なものではありません。

人間は全体的な存在です。

 

がんにしても、身体全体が不調和になっているということを一部の細胞が教えてくれている、ととらえることもできるのではないでしょうか。

全体の調和のために、部分がそのバランスをとるのです。

その知らせに気づいて調和のとれた状態に戻ろうとするなかで、健康を取り戻していくというプロセスもありうると思うのです。

 

「以前とまったく同じ状態に戻る」ことではなく、別の新しい平衡状態を見つけるということです。

その結果、がんが治るかもしれないし、治らないかもしれない。

ただ、治療する側が「元の状態に戻す」ことにばかりこだわると、かえって不調和を増進させてしまうことにもなりかねません。

 

生命は常に動いています。

アンチエイジングにしても、自然の摂理である老化と「戦う」「逆らう」という発想には無理があります。

青年期、壮年期が人生の最も素晴らしい時期で、老いは醜くて避けるべきと考えてしまうと、無理をして青年期、壮年期に戻ろうとするわけですが、そうすると必ずしわ寄せがきます。

 

病は敵である、死は敗北である、という枠組みで考えるかぎり、1分でも1秒でも長く生きることが勝利ということになり、生命や人生の「質」が見失われてしまいます。

最高の医療をもってしても1歳や2歳で亡くなる子どももいます。

人生で大切なのは量ではなく質なのです。

 

老いや死を医療の敗北ではなく、生命サイクルの完結と考えることで、その子が「生きた」意味が立ち上がってきますし、関わった人たちもその意味に気づけるのです。

 

病気になったときも「完全に元の状態に戻す」ことが生きる目的となると本末転倒です。

時は逆行しません。

それよりも自分はどう生きたいのか、よりよい人生を生きるためにはどうしたらよいか、本来はそういうことと共に生きていくのが医療の本質です。

 

哲学や教養――固い言葉でいえば生命倫理とか医療倫理――という、いわば「土台」がなければ、いくら技術が進歩しても、ただ先鋭的になり不安定になるだけで、医療の目的地を見失うことになります。

 

医療技術は、人間が本来備えている自己治癒力を生かし、サポートするためのものです。

自己治癒力がなければ内科でも風邪でさえ治りませんし、外科でも傷口すらふさがりません。

人間の内なる力を無視して技術だけを進歩させても、本当の意味で命や人生の本質には迫ることはできないのだと思います。

 

そういう意味でも、がんになった人は、「がんや病気のことを考えない時間」を持つべきです。

ケリー・ターナーさんの本には、「朝夕2回、娘と二人で笑う時間をとる」ことを決めた女性が出てきます。彼女はそうやって、新たに取り組むべき使命を見つけました。それによって生きる力が内側から湧いてきたのです。

 

がんのことばかり考えると、がんが思考やライフスタイルの中心となる生活に引っぱられてしまいます。

がんがあったとしてもなかったとしても、自分はどういう人生を生ききたいのか、自分は何のために生まれてきて何のために生きていくのか、という根源的で重要なことを自らに問う内省的な時間を持つ必要があるのだと思います。

 

『がんが自然に治る生き方』で、劇的な寛解を遂げた人たちがやっていた9つの習慣のうち7つが「心」に関わることでした。

そのことは、内なる力に気づくこと、それを表現する言葉を得ることがいかに大切かを物語っていると思います。

 

ただ、そういうことがすぐにできる人は非常に少ないと思います。なぜなら、多くの人は、自分の心や体に関する勉強を一度もしないまま大人になるからです。

現在の学校教育では生命や体の仕組みのことを深く学ぶ機会がありません。病気になって慌ててインターネットで情報を集め始めても、ある程度基本がわかっていなければ、情報の質の違いがわかりません。

しかも焦りや不安のなかで情報を得ようとすると、断定的に言いきっている情報や権威付けのある情報に飛びつきがちなのです。

 

自分で治療法を決めるためには、ある程度の体や生命に対する基礎知識と、自分がベストな判断をしたと感じられる自己信頼に基づく自信が必要なのです。

 

予防医学の基本は教育です。

自分の心、身体、食事について正しい知恵や知識をもって生きていくということが予防医学になるのだと思います。

人生の早い時期に、体の仕組みについて、具体的には解剖学、生理学、免疫学、栄養学などの基礎的な知識を偏見なく学ぶ機会があれば、いざ病気になったときにどういう治療を受けたいのかを主体的に考えることができます。

 

回り道のようですが、病気との向き合い方も含めた生き方を自己決定できる人を増やすには、まずは教育だと思います。基礎のないところで治療法を自己決定するのは困難であり、リスクも伴います。

 

では、何から取り組めばいいのか。

医師の立場から言えば、やはり食生活を見直すということが効果的だと思います。食事は他でもない自分の体を物理的に構成するものだからです。

この本で紹介されている「末期がんから劇的な寛解をとげた人が実践している9項目」のうち、2項目だけが体にかかわるもので、あとはマインドやスピリットにかかわるものです。

そうはいっても、身体は食べ物でできています。食べ物を通して身体の状態が改善されると思考がクリアにニュートラルになって、直感も冴えてきます。

 

その結果、適切な決断ができるようになる。

食事を変えることが自分で自分の人生を決めていくことにもつながっていくのです。また、食生活を変えるには周囲の人の支えも必要です。

そういう意味では生き方を変えることにもつながるのかもしれません。

 

ただ、生活を変える場合も教条的にやるのではなく、自分にはどういう食物が合っているのか、乳製品はいいのか、小麦はいいのか、肉はいいのか……、ひとつひとつ考えながら、身体と対話していくことが大切です。

 

そして特定できる生産者の方が愛情をもって育てたものを適量食べることを心がけていただきたいと思います。

必ず加熱して食べなければならないとか、逆に必ず生のものを食べなければならないとか、肉は食べてはいけないとか、例外を許さない極端な食事法もありますが、よほど体に合うという実感がない限りは継続しておすすめできません。

 

どの食事療法も、結局はその食事療法の創始者の体質が基になっているのです。その人と近い体質の人には効くし、そうでない人には効きません。体質も年齢や時期で変わることがあります。沖縄の人たちは豚肉を食べて長寿ですし、インドの聖者は厳密な菜食主義で健康を保っています。

 

何を食べるか食べないかということにとらわれすぎる前に、食を通じていのちや、自分という存在と向き合う姿勢の方が大事です。

心を整えることは身体を整えることにつながり、身体を整えることは心を整えることにつながっています。

 

*東京大学医学部付属病院 稲葉俊郎 

 『がんが自然に治る生き方』を医師として読んで

 

健康とは、病気とは          THE SHARP INSIGHT

これまで誰からも教えられたことがなかった「体の素晴らしい機能と働き」について知った時、「自分の体に与えるべき食べ物とは何か」を正しく理解できるようになります。そうすれば、大人も子供も、「超健康」という人生最高の恩恵にあずかることができるのです。

 

1. 健康な状態こそが人間の正常な状態である

2. 健康は健康的な生活から生まれる

3. 病気のときも健康なときも、体は同じものを求めている

4. 病気とは、体が行う体内の大掃除である

5. 症状を抑えてしまう行為は、体の自然治癒機能を妨げるだけである 

6. 体の各部は、すべて連動して機能している

7. 原因と結果を知れば、病気は必ず克服できる

 

 

1. 健康な状態こそが人間の正常な状態である

私たちの体は、常に健康であるように創られています。

汚染物質を取り除き、体の中を自ら浄化する力(自然浄化力)と悪いところを治していく力(自然治癒力)という「潜在的な能力(機能維持力、恒常性維持能力)」を備えています。そして、これ以上ないほどのベストの状態を保つ努力を常にしてくれているのです。

 

体は「超健康」を維持していく方法を、生まれながらにして心得ています。

胃の細胞は四日毎に新しく創り変えられ、肝臓は六週間毎に新しい肝臓に生まれ変わっていきます。大抵の人が「骨は硬くて永久に変わらない」と思っているようですが、すべての骨とその接続組織は、七年毎に入れ替わっているのです。

体は常に、傷ついたり古くなった組織を創り変え、悪いところは修復しています。

 

驚いたことに、毎日3,000億から8,0000億もの細胞が、新しく入れ替わっていくのです。体の成長は、子宮の中での小さな細胞の結合から始まり、大人の体になるまで、ずっと必要不可欠なことを行ない続けているのです。細胞を創り、外の気温に関係なく体温を37度前後に保ち、睡眠中も休まず心臓を動かし、走る時には呼吸を早めたりと、これらのことを体は自動的に行なっているのです。

 

傷をこしらえたり、骨折してしまった時には、傷口をふさぐことや骨をつなぐことも心得ています。目にゴミが入れば、誰から教わらなくとも、まばたきをしたり涙を出したりして、ゴミを外へ流し出してくれます。

勉強をする、仕事をする、遊ぶ、スポーツをする、テレビを見る、Eメールを送るなど、こうした多くのことを、あなたの体は昼となく夜となく、夏もなく、大した援助も必要とせず、ずっと行なってきています。要するに私たちの体にとって、健康とは実に単純なことなのです。

 

私たちがしなければならないことは、体が行なっている健康維持のための作業を邪魔をせず、体からのサインに注意を払い、「体が求めているものを体に与えてやること」ただそれだけで良いのです。

 

2. 健康は健康的な生活から生まれる

言葉にしてしまえばごく当たり前のことのように思われるでしょうが、あらためていえば、健康は「健康的な生活習慣」の結果、生まれるものです。病気を予防し健康でいるためには、健康を維持してゆくために必要な条件を、体に与える必要があります。

 

セントポーリアの花を育てたことがあるでしょうか。初めてセントポーリアを育てる人は、「正しい肥料は何か」「適切な水遣りの量はどれくらいか」「どれだけ日光に当てたらよいか」「どんなことを避けるべきか」など、本を読んだり、実際に育てている人に色々話を聞いたりして、失敗しないセントポーリアの育て方に関する情報を集めるはずです。そしてセントポーリアが必要としている環境や条件を整え、花を駄目にしてしまうようなことは極力しないように、気を配るはずです。

 

エネルギーに満ち溢れ、健康で聡明な子供を育てるのもセントポーリアと同じですし、健康に自信を持てなくなっている多くの大人たちのヘルスケアも、まったく同様なのです。健康な体づくりにとって、「最も相応しい環境や条件は何か」「体を傷つけてしまうようなものは何か」ついて学び、それに沿った行動を実践し、健康のために必要な条件を満たしていけば、病気になるようなことはありません。それは次の通りです。

 

【健康な体づくりのための7つの条件】

1. 新鮮な空気を吸うこと

2. 純粋な水を飲むこと

3. 体の生理機能・構造上最も相応しい食べ物をとること

4. 毎日適度な運動をすること

5. 十分な休養と睡眠をとること

6. 日光を豊富にとり入れること

7. 心の平静を保ち、ストレスを溜め込まない様に自己管理すること

 

ヘルスケアは、あくまでも「自分自身で行なうプロセス」です。誰もあなたの代わりはしてくれません。あなたの代わりに食べてくれる人も、運動してくれる人も、眠ってくれる人もいないのです。あなたの体からストレスをとり除くのは、あなたにしかできません。どんな優れた名医にかかっても、健康に必要な条件をあなたに代わって、あなたの体に与えることは出来ないのです。

 

元アメリカ医師会会長、リチャード・パルマーは次のように述べています。「患者の健康状態を決定する上で医者に出来ることは10%に過ぎない。残りの90%は医者には全くコントロール出来ない要因か、もしくはほんの少ししかコントロール出来ない要因によって決定される」tと。コーネル大学のキャンベル博士は、「ガンでさえ、遺伝が作用するのはわずか2~3%に過ぎない」と述べています。

 

私たちは、自分自身が選択した食事や生活習慣によって健康にもなれば、病気にもなります。必要な条件を与えてさえいれば、私たちは病気になることもなく、痛みや苦痛や不安を感じて不快な人生を送るようなことにはなりません。

 

私たちは自分自身で健康な体を選ぶことが出来るのです。ところが大抵の人々は、体に必要なものを学んでこないため、中年を過ぎると、病気に対する不安や恐れと背中合わせの日々を送ることになってしまいます。医者はそのことを教えてはくれません。何故なら、医者は病気の専門家であって、健康の専門家ではないからです。医者がそんなことを患者に教えてしまったら、患者がいなくなってします。患者がいなければ病院経営は成り立ちません。

 

大学の医学部に「健康学」という授業がないのも納得できます。医者が学ぶのは、病理学、薬理学、毒物学など、病気とその治療に関する学問です。すなわち、およそ二万といわれる病気とその治療法に関することであり、健康を維持していくための勉強はしないのです。医者になるためには、「そうした健康学は必要ない」というのが、今日の近代医学のヘルスケア・システムのようです。

 

そうした社会に暮らす私たちが、「超健康」を獲得・維持したければ、その方法を自ら学び修得し、「自分の体は自分で守る」ようにしていかなければなりません。体に必要な条件を子供に幼いうちから教えていくことの重要性は、ここにあるのです。

 

3.病気のときも健康なときも、体は同じものを求めている

日本人は大の薬好きのようです。ちょっと風邪気味だ、やれ頭痛がする、胃が痛いなどというとすぐ家庭の常備薬を飲んで不快感をしのぐというのが普通です。アメリカの医科大では「薬は毒である」とまず教えるそうです。

 

薬は表面に見える症状をなくしたり軽減したりするのに役立つことはあるけれども、『症状がないこと = 健康』ではありません。いくら薬を与えられても、病気の根本原因は取り除かれることはなく、薬という体にとっては異物の侵入がもたらす弊害は、体の組織を徐々に傷つけていくことを促進させるばかりです。

 

健康のときも、病気のときも、体には同じ「生理学の法則」が支配しています。病人が健康を取り戻すために必要なものは、健康な人が健康を維持していくのに必要としているものと同じです。

 

健康なときに必要としていないものは、病気のときにも必要ではありません。健康のときに使わないもの(薬など)を、病気のときに使うのは、賢明な選択ではないのです。

病気のときに体が必要としているのもは、健康のために要素の中でもとりわけ休養(消化器官も含めてすべての活動を一時的に休むこと)、睡眠、水です。

 

病気や体調不良になったら、食事の量を控えるか、あるいは気分が良くなるまで1~2食抜くことが薦められます。自然界の動物たちはみんなそうしています。

 

病気のとき彼らは、目の前にどんな大好物の食べ物があっても食べようとはしません。そのとき体が必要としているものは、食べ物ではなく、体の組織のすべての休養であることを、本能的に知っているのです。

子供もまた、本能的にそのことを知っています。それは人類が何百万年にもわたる経験から体得してきたものです。ですから熱が出たり、気分が悪いときには食べ物をとろうとはしません。親が無理して食べさせようとしても、吐いてしまいます。

 

それは体が、不良個所を修理するためにエネルギーを使っているから、「食べ物を食べても、消化に振り向けてやるエネルギーはありません。だから今は食べないでいて下さい」という体からの警告サインなのです。この法則は、赤ちゃんから高齢者まで、すべての人に当てはまります。

 

「ナチュラル・ハイジーン」のパイオニアの一人、ジョン・ティルデン博士は次ぎのように述べています。

「賢い親は、病気の子供には決して食事を与えるようなことはしない。子供にファスト(断食)をさせることを恐れてはいけない。病気になったときの断食は病気を軽くし、その危険を少なくするが、食事を与えると、病状は一層ひどくなり、そして長びくことになる」

 

「ナチュラル・ハイジーン」の理論の世界的普及に貢献したハーバート・シェルトン博士も次ぎのように同意見を述べています。

「動物たちは病気になると、大人も子供も本能的に食べるのをやめる。彼らが望むのは、静かな暖かいところで、少量の水をとって断食することだけだ。人間の赤ちゃんも同様である。病気のとき必要なのは、暖かくて静かな環境と、断食、そして幾らかの水だけである」

 

ピポクラテスはすでに二千年以上も前にそのことに気付いており、

「病人に食事を与えると、病気を養うことになる。一方、食事を控えれば、病気は早く治る」と教えていました。 ところが今日の大人たちは、「食べなければ病気と闘うためのスタミナつかない」という誤った知識に毒されてしまっています。

 

そのため、このような「体から警告」(人間の本能ともいうべき基本的な力、祖先から受け継いできた素晴らしい能力)を感じとることが出来なくなってしまっているのです。非常に敏感で生命力が活発な子供の体は、大抵の場合、食事を一度か二度抜くだけで、ノーマルな状態を取り戻し、元気になります。

 

4.病気とは、体が行なう体内の大掃除である

「病気とは一つしかない」とナチュラル・ハイジーンによって教えられ、頭がガーンと来ました。

私は沢山の病気が存在しているように思っていました。現代医学は進歩しているように見えても、私たちが患う病気もドンドン増えてきているそんな感じを持っていました。しかし、「病気とは一つしかない」のです。病気とは、体が恒常性を保つために、体が行なう体の大掃除(有害物質の緊急排泄)なのです。有害物質の排泄場所、排泄のされ方によって、色々な病気が現れるように見えるのです。

 

対処療法に終始することが多い現代西洋医学では、私たちが真の心身の健康を取り戻し、維持・増進させていくことはかなり無理があるようです。

 

「健康とは、体がノーマルに機能している状態である」ということを思い出して下さい。反対に、「病気とは、体の機能がノーマル以下の状態」を指します。

体の機能が低下して、恒常性を失ってしまった状態が病気です。英語では病気のことを「disease」と言いますが、この言葉は「ease = 楽」な状態の否定形であり、即ち「楽が行なわれていない」という意味です。

病気には二種類あります。それは急性病と慢性病です。

 

急性病は、体がノーマルな状態を妨げているもの、毒素を(規則正しいペースで毎日排泄されずに組織の中に溜め込まれた有害な物質)緊急手段を用いて排泄し、体の機能をノーマルな状態に戻すために、体が行なう解毒作業のことです。平たく言えば、体が恒常性を保つために、体内の大掃除(解毒と浄化)を行なってる状態が急性病の症状なのです。

 

そのとき、体の持ち主は、クシャミ、咳、発熱、痛み、下痢、嘔吐、粘液の排泄(鼻水、喀痰、大腸や子宮口からの粘液の排泄)、膿などといった不快な症状を経験することになります。一般にはこれらの症状を風邪とか、突発性発疹、副鼻腔炎、胃炎、大腸炎ほか様々な病名をつけて「病気」と呼んでいるのです。

病気自体は一つしかありません。それは体の大掃除(有害物質の緊急排泄)なのです。

 

ピポクラテスは次のように述べています。

「病気とは、浄化のクライシス、つまり体の毒素の排泄を行っている重大局面だ、ということに私は気付いた。症状は体が引き起こす防衛手段である。数々の病気が存在しているように思われるが、実は病気は一つしかない。それは、異なったところにことなった状態で現れる」それから二千年以上経っているにもかかわらず、医師たちの殆どはそのことに気付いていません。

 

病気という緊急プロセスが、薬の使用などによって人工的に抑えられてしまったり、生活習慣病の誤りを繰り返し続けていくと、急性病は永久になくならず、ついには、体内の毒素に体が反応できなくなり、組織、器官が傷つけられていくことになります。それが慢性病です。

 

ブライド病(タンパク尿と浮腫を伴う腎炎)、心臓病、糖尿病、腎臓病、慢性肝炎、喘息、慢性関節リウマチ、ガンなどはその典型です。

 

5. 症状を抑えてしまう行為は、体の自然治癒機能を妨げるだけである

私たちは病気というものについて大きな勘違い、思い込み違いをしているようです。ちょっと頭が痛いとか、ちょっと熱があるとか、ちょっと胃が痛いとか、胸焼けがする…など等の不快な症状に見舞われると、私たちはすぐ頭痛薬、解熱剤、胃薬など等に頼り、不愉快な気分や症状を抑えようとします。

 

不愉快な気分や症状が治れば、「ああ良かった、あの薬が効いたんだ」で一安心です。何故、頭が痛いのか、熱があるのが、胃が痛いのか、胸焼けがするのか日頃の生活を見直すことは滅多にありません。

 

痛みや熱を出した根本原因には封がされ、体内環境は益々悪化し、組織を傷つけ、慢性病へと導いていくことになるのです。病気に伴う痛みや苦痛、不快感は、体からの貴重なメッセージなのです。

 

シェルトン博士はまた、次のように述べています。「病気とは、組織を浄化し、正常な状態を取り戻すためのプロセスである。体内の毒素を取り除き、ダメージを回復するため、体がすべてのエネルギーをつぎ込んで必死に努力している状態のことである。この体の努力は決して抑えつけてはならず、むしろ助けてあげなければならない」

 

今日、非常に多くの人々が、体に痛みや不愉快感を感じると、薬を飲んで、症状を抑えてしまいます。そして、症状がなくなると、「病気は治った、あの薬が効いたからだ」と思い込んでいます。このような考え方をするのはむしろ危険なことと言えます。何故なら、症状は消え、問題は解決したように見えても、病気を引き起こした根本原因はまだ取り除かれていないからです。

 

それは、車のダッシュボードにエンジンの異常を知らせる赤いランプがついたのに、目障りだからといってテープで隠して運転し続けるのと同様の危険な行為なのです。

 

薬で症状を抑えると、一定期間苦痛の症状はなくなりますが、体に痛みを引き起こしていた根本原因である毒血症の状態が(様々な毒素が血液に入って生ずる全身的な中毒症状)取り除かれた訳ではありません。そればかりか、痛みを隠すために用いられた物質(薬)の毒も加わって、体内環境は益々悪化し、組織を傷つけ、慢性病へと導いていくことになるのです。

 

病気に伴う痛みや苦痛、不快感は、体からの貴重なメッセージなのです。人体機能のどこかがうまく行われていないので、それを正すために、体が浄化とヒーリングを行っているというサインです。

 

例えば、扁桃腺の痛みは、リンパ組織が有毒物質を解毒しているというサインです。頭痛は、体が有害物質を取り除き、血液循環を経て、体の四大排泄器官(大腸、腎臓、肺、皮膚)から排泄させる作業を行っているというサインです。この時、老廃物が脳の神経を刺激するので、頭に痛みを感じるのです。

 

胃痛や胸焼け、胃もたれは、食べ物が完全に消化されずに胃の中で腐敗・発酵しているというサインです。鼻水が流れるのは、有毒物質を包み込んだ粘液を排泄してるからです。発熱は、有害物質を処理するために酵素やマイクロファージ(体の異物処理系)の活動を活発にさせる目的で、体が引き起こしているものです。

 

しかし、多くの人は、こうした体から送られてくるサインやメッセージについて、一瞬たりとも深く考えるようなことはしません。大抵、薬を飲んで体を麻痺させ、メッセージの発信箇所に蓋をしてしまいます。

 

薬大好きの日本人の私たちにとっては大ショックな言葉です。私たちの体が病気から良くなるのは、私たちの体に内在する治癒力によるものであって、薬のお蔭ではありません。私たちは体の調子が悪くなると、医者に駆けつけますが、医者って、本当の処は体が良くなろうとしているのを邪魔していることが非常に多いのかも知れません。

 

医療費が膨れ上がって、国家財政の危機ですが、私たちの体の中には素晴らしい自然治癒力が備わっているのです。もっと私たちに内在する素晴らしい自然治癒力を引き出して、薬やお医者さんとバイバイしようではありませんか。

どんな薬にも病気を治す力はありません。ヒーリング(治癒)は、体に内在している力によって行なわれるものです。

 

切り傷は自然に塞がります。バンドエイドのお蔭ではありません。骨折した骨は、ギブスをはめて固定さえしてやれば、あとは体が治してくれます。折れた骨と骨の先端から天然の接着剤が分泌され、自然にくっつくのです。これは体が自ら行なう作業です。湿布薬や飲み薬がくっつけてくれた訳ではありません。

 

健康を取り戻すには、病気の根本原因を取り除き、体に回復するチャンスを与えてやることです。症状を薬で抑え、それがなくなれば治ったとする短絡的な考え方はすべきではありません。体を治してくれるのは自分の体だけです。そして、体がヒーリング(治癒)のプロセスに入れるような条件を整えてやれるのは、本人自身しかいないのです。

しかし、大抵の親たちは、そのことを知りません。「医者は病気を治すことができる」と信じており、子供が熱を出したり咳や鼻水が出始めると、慌てて医者のところに連れて行くのです。

 

ロバート・メンデルソン博士は、『医師の忠告に反して健康な子供を育てる方法』の中で、次ぎのように記しています。「子供を健康に育てるベストの方法は、事故や緊急を要する場合を除いて、医者に近づけないことである。

 

もし、あなたの子供に病気の症状が現れたら、その状況をよく監視する必要があるが、深刻な病気の症状がはっきり現れるまでは、医者に助けを求めるようなことはしない方がよい。

大抵の医者は、人間の体が素晴らしい修繕装置になっていることを無視し、恐らく、体にその修繕のチャンスを与えそうにはないからだ。それどころか医者は、体が対処できないような副作用を引き起こすもの(薬など)で治療することによって、体に自然に備わっている防衛力を、妨げてしまうことであろう」

 

勿論、事故による内臓破裂や、顔面損傷のような場合は、医療的な処置や手術の助けが必要になることもありますが、結局、回復自体は生物学的プロセスに頼っているのです。

また、裂傷や骨折を体が治しているプロセスで、痛みがひどくて眠れないような場合、体の治癒力を最大限に生かすため、薬で痛みを軽減し治療に貢献する場合もありますが、その場合でも、治癒や回復を行なっているのは薬ではなく、体自身なのです。

アルバート・シュバイツァー博士も、「我々医師は何もしない。我々はただ体内の内なる医師を助け、励ますのみである」と言っています。

 

6. 体の各部は、すべて連動して機能している

砂糖たっぷりの甘味や甘いジュース、肉やアルコール、食品添加物たっぷりの加工食品を自分の好みに任せて飲み食べ過ぎると、肝臓や腎臓に物凄く負担がかかります。肝臓や腎臓も、疲れて働けなくなると、解毒作用、浄化作用が落ちます。毒素や老廃物を出せなくなって、体の中に溜まったものが限界を超え体が苦しくなり、皮膚から出そうとして、内部の汚れが噴き出してきたのが皮膚病です。

 

夜のネオン街で働く女性たち。彼女たちの化粧を落としたあとのシミだらけ素顔見て、ビックリされたことはありませんか。あれはとり過ぎたアルコールの燃えカスが皮膚を通して出てきたものです。

 

現代の西洋医学で治りにくい病気の一つにアトピー性皮膚炎があります。痒みを抑えるためにステロイド系の抗生物質を使っても、一時的によいとしても、もっとひどくなってしまいます。皮膚の健康状態は内臓の健康状態を反映しているのです。だから、皮膚病を根本的に治すためには腸、肝臓や腎臓、脾臓を元気する必要があります。

 

体は色々な装置や組織が集まった一つの機械の様なものです。体は一つの機械として機能しているのです。一つの器官が機能不全になると、全身に影響が及びます。例えば、消化器官に障害が起こると、体全体が苦しむことになります。何故なら、ノーマルで健康な代謝作業に必要な栄養を受け取ることが出来なくなるからです。

 

心臓が傷つくと、全身が被害を被ることになります。栄養と酸素を運ぶ血液が全身の細胞に確実に届けられなくなってしまうからです。肝臓が傷つくと、全身が病気になります。有害物質の解毒が出来なくなってしまうからです。腎臓が傷つくと、同様に全身に影響します。体が老廃物を排泄することが出来なくなるからです。

 

ニキビや吹き出物が出ている人は、肌だけがトラブルを起こしているのではありません。体は体の最大の排泄器官である皮膚から、組織内に溜まった有害物質を排泄しているのです。いくら皮膚を清潔にしたり、軟膏をつけてケアをしていても、組織に有害な老廃物が溜まるような食事やライフスタイルをしていたのでは、ニキビや吹き出物は一向に消えていきません。

すなわち、一部分だけ健康であるとか、一部分だけが病気だということは決してないのです。

口臭は、消化器官の中で完全に消化されない食べ物が、腐敗発酵している証拠です。いくら消臭スプレーを使っても、元を断たなければ匂いは消えません。脇の下の不潔な匂いも同様です。体の組織の中に溜め込まれている老廃物が悪臭を放っているのです。

 

7. 原因と結果を知れば、病気は必ず克服出来る

体には、常時ベストのコンディションを保とうとする能力(恒常性)が備わっているため、誤った生活習慣で組織が毒素(有害物質)で一杯になり機能を妨げるような状態(毒血症)になると、自ら大掛かりなクレンジング(大掃除)を始めるのです。緊急手段に訴えて排泄するのです。それが「病気」と呼ばれるものです。毒血症によってもたらされる結果(=症状)は様々ですし、病気の症状が現れる個所も様々ですが、病気は一つなのです。

 

だから、私たちが頼らねばならないのは、医者や薬ではなく、体の中にある超人的なパワーなのです。そのパワーを妨げるのではなく、最大限に発揮させてやるために、私たちがすべきことは、「生命の法則」に従って生きることです。すなわち、ホモサピエンスとしての人間の体に必要なものを与え、体を汚染させたり、体の機能を傷つけたりするようなものを、体の中に取り込まないこと、ただそれだけです。

 

病気とは、体が恒常性を保つために、体が行なう体の大掃除(有害物質の緊急排泄)なのです。有害物質の排泄場所、排泄のされ方によって、色々な病気が現れるように見えるのです。

だから、食生活を主とする生活習慣を整えていけば、殆どの病気は治ってしまう、考えるのです。病気を恐れるには足りません。

しかし、私たちが信じていた現代西洋医学は症状を抑えることが主であり、根本的な病気の治療とはならなかったのです。私たちの病気を治すのは、私たちに本来備わっている自己治癒能力なのです。

 

薬は、自然の警告システムを働かなくし、危険な行為(病気の根本原因である誤った生活習慣)を続けるように仕向けてしまうものです。対処療法に終始することが多い現代医学では、私たちが真の心身の健康を取り戻し、維持・増進させていくことはかなり無理があるようです。

 

すべての出来事には原因と結果があります。これは自然の摂理です。私たちが経験している体調不良や病気という結果は、その前になされた選択や行為の結果なのだということを忘れてはなりません。私たちが毎日行なっている選択が、これらの結果をつくり出しているのですが、そのことに気付いている人が殆どいないため、病気の人が増えていくのです。

 

病気とは、私たちの誤った選択や行為によってもたらされた体内汚染を一掃しようとして、体が引き起こしている緊急排除作業なのです。そして、こうした体の汚染状況を、ナチュラル・ハイジーンでは、毒血症と呼んでいます。

 

ティルデン博士は、すでに1,926年に『毒血症が明らかにしたこと』という本の中で次ぎのように説明しています。

「『自然の法則』に違反するような誤った生活習慣、例えば食べ過ぎ・飲み過ぎ・食事選択の誤り|働き過ぎ・極度の疲労・睡眠不足・運動不足|ストレスマネージメントの欠如などを繰り返し行なっていれば、体のエネルギーが低下し、排泄作業が遅れてしまう。その結果、有害物質が体内に溜め込まれ、体液や組織が毒素(有害物質)で飽和状態になってしまう。この状態が毒血症である」

 

毒素は通常、次の方法で体内に溜まっていきます。一つは、体が行なう自然の新陳代謝によって、使い古された細胞のカスなどの老廃物が蓄積されていきます。

もう一つは、体外からもたらされる物質によってで、体に相応しくない食べ物(過剰な動物性食品、特に揚げ物や焼き物)の代謝副産物|刺激物(アルコールやタバコ、カフェイン、香辛料など)|食品添加物、農薬、その他の環境汚染物質など、体が栄養として利用できないものが、毒素となって蓄積されていきます。

 

私たちの体は、これらの有害物質を、四つの排泄器官(腎臓、大腸、肺、皮膚)を通して常に排泄しています。しかし、疲労が重なったり、運動や睡眠が不足していると、これらの有害物質は、通常の排泄器官から速やかに排泄されなくなり、組織の中に溜まっていくことになります。

 

しかし、体には、常時ベストのコンディションを保とうとする能力(恒常性)が備わっているため、組織が毒素(有害物質)で一杯になり機能を妨げるような状態(毒血症)になると、自ら大掛かりなクレンジング(大掃除)を始めるのです。つまり、リンパ組織やリンパ液、血液の中、細胞と細胞の間などに溜め込まれた毒素を、緊急手段に訴えて排泄するのです。それが「病気」と呼ばれるものです。

 

毒血症によってもたらされる結果(=症状)は様々ですし、病気の症状が現れる個所も様々ですが、病気は一つなのです。

 

「病気はウィルスやバクテリアによって引き起こされるのではないのか」といった疑問を持たれた方も多いと思います。昔、人々は「病気は悪魔が引き起こすもの」と信じていました。顕微鏡が発明されると、顕微鏡のレンズの下でうごめいている細菌こそが病気の原因だ、とされるようになりました。

その後ウィルスが発見されて以来ここ100年余りの間、病気の原因はウィルスだとされるようになりました。しかし、これらはいずれも医者や製薬業界が作り出した神話に過ぎません。

 

真実は、バクテリアやウィルスは病気の直接の原因ではないということです。それらのものは病気のプロセスに関与しており、病状を悪化させる可能性があることは事実ですが、病気を引き起こすのは、あくまでも体の方です。

バクテリアやウィルスが、病気の原因であり得ないのは、ハエが台所のゴミの原因にはなり得ないのと同じです。問題はバクテリアやウィルスが繁殖するような汚れた体内環境にあるのです。台所に汚いゴミがあるからハエがたかるのです。

病気の細菌説を打ち出したパスツールでさえ、晩年はそのことを認め、臨終の床で「種は問題ではない。すべての問題が土壌にある」という言葉を残して亡くなったといわれています。

 

ウィルスはあたかも生きている有毒物質で、人から人へと移り、病気を引き起こす悪漢のように思われていますが、実は使い古され、死んだ細胞のカス(DNAとRNA)です。それ自体で活動する力もなければ、決して生きた状態では見られず、研究室で複製することも出来ません。しかし、これらが体内に堆積すると、体内に溜め込まれている老廃物同様、非常に悪い毒となります。

 

したがって、体はウィルスが大量に溜め込まれているところに対して、大腸からバクテリアを動員し片付けてもらうのです。これが体が自ら引き起こす「浄化のプロセス」ですが、そのプロセスのことを医者たちは「病気」と称している訳です。

 

ウィルスは病気を引き起こしている訳ではないのですが、医者たちはウィルスを病気のスケープゴートにしているのです。バクテリアは常に私たちの体の中にあり、有害物質や有毒な老廃物を分解したり、取り除いたりするのを助けたり、色々なビタミン(B、Kなど)や抗酸化力の強い物質(短鎖脂肪酸)をつくったりなどして、宿主である私たちの体と共存して働いてくれている物質です。

必要な時がくると、増殖して有害物質を片付けるスカベンジャー(清掃係り)として働き、自分たちの作業を終えるやいなや、その数は減少していきます。

 

バクテリアが有害物質を食べて排泄する老廃物は極めて有害なため、バクテリアの存在が病気の症状を悪化させるということはありますが、バクテリア自体は病気そのものの根本原因ではないのです。有害物質が体内になければ、バクテリアの増殖はあり得ず、バクテリアによる猛毒副産物も生まれません。

 

冬になると風邪やインフルエンザが流行するように思われるのは、体がこれらの病気を引き起こさせるような食事やライフスタイルを、習慣的にみんなが同じように行なっているからです。粗悪な食習慣、閉め切った悪い空気の中での生活、不充分な休養と睡眠、運動不足、日光に当らないことなどが重なって、ウィルスを含む有害物質の排泄が遅れ、体内に悪い環境を作りあげてしまうのです。

正しいライフスタイルや食習慣を身につけていれば、風邪どころか、SARS(新型肺炎)などのどんな病気も移されるようなことはありません。風邪は体の外から引き込むものではないのです。風邪の正体は、体が体内の有害な老廃物(毒素)を緊急排泄させる目的で、体が自ら行なっているハウスクリーニング(大掃除)なのです。

 

はしかや水疱瘡のような子供時代特有の病気も、同様です。これらの病気はいずれも、体内に溜め込まれた毒素を排泄させるために体が始めている自助行為であって、他の子供から移されるものではないのです。

 

体に相応しい食事や食習慣があって、体内環境をきれいに保っている子供の体は、体内に有毒物質がないため、周囲にははしかや水疱瘡を患っている子供たちが沢山いても、これらの人は病気には罹りません。ナチュラル・ハイジーンで育っている子供たちには、はしかや水疱瘡、おたふく風邪のような病気を殆ど経験せず、健康に成長していきます。私はそのような子供たちを沢山知っています。

 

また子供が大人よりもよく病気になるのは、子供が大人よりバイタリティー(体力=毒に対する抵抗力)が豊富で排泄力が強いため、少しの毒物でも排泄しようとするからです。子供に初めてタバコやお酒を与えるとどうなるか、皆さんはよく知っているはずです。けたたましい声をあげて、吐き出してしまいます。

しかし絶えずこの毒を与え続けていると、バイタリティーは低下し、次第に毒に対する耐性(適応力)が出来上がってしまうのです。それが大人の体です。

 

大人は子供に比べて、病気に対する抵抗力がある、というのが一般的な見方ですが、真実はそうではなく、バイタリティーが低いため、毒物追放のプロセス(病気)を、そう頻繁に起こすことが出来ないのです。端的に言えば、大人の生活は子供のそれより複雑で、しなければならないことが沢山あり過ぎるため、体はエネルギーを排泄以外の活動に向けることを優先し、排泄や体の浄化は後回しになってしまうのです。

 

「特定の病気学説は、今日の医学界を支配している人たちの都合のいい口実です。特定の病気などというものはありません。あるのは病気を引き起こす様々なコンディションだけです」ということを…

 

ナイチンゲールは今から140年以上も前に、「病気とは人から人へと移っていくような実在する物体ではない」として、病気の細菌説を否定しました。多くの人々の命を救ったナイチンゲールは、次ぎのように書いています。

 

「病気を、”夫々に実在しているに違いない個別の物体”として見てはいけません。病気を引き起こすコンディションは、各人の体の中から生じるのです。病気とは、私たち自身がもたらした好ましくない状態を、体自らが取り除こうとしてくれているために生じている反応だ、と捉えてみてください。

 

私は閉めきった部屋の中、或いは非常に多くの病人を詰め込んだ病棟の中で、天然痘第一号が発生していくのを、目の当たりにしてきました。外界とは完全に隔離されているそんな状況下では、万が一にもこの人たちが、天然痘に”外部から移された”ということはあり得ず、その部屋の中から始まったに違いありません。それどころか、私は病気が始まり、進行し、他の人に移っていくのを目撃したこともないのです。

 

看護婦は、伝染などということには注意を払わず、病気を予防することを心がけるべきです。清潔さ、開け放たれた窓からの新鮮な空気、患者への絶え間ない注意、これらが本当の病気予防の手段です。特定の病気学説は、今日の医学界を支配している人たちの都合のいい口実です。特定の病気などというものはありません。あるのは病気を引き起こす様々なコンディションだけです」

 

私たちに必要なことは、ナイチンゲールが記したように病気が引き起こされるような体内環境をつくらないようにすることだけです。不幸にも、病気になってしまった場合は、その根本原因を取り除いてやれば、体に秘められている素晴らしいヒーリングパワーによって、健康はじきに回復します。

 

「超健康」を手に入れるためには、自分の体は自分で守らねばなりません。いくら医学が発達しても、病人は一向に減らず、医療費が国庫の財政をパンクさせかねない状況にある今日、世界で最も医学が発達しているアメリカの医師会でさえも、近代医学の限界を認め、薬や手術による治療医学から、予防医学重視への転換を庶民に訴えている時代です。

 

今日私たちに求められるのは、最早ハイテクを駆使した近代医療技術や設備、新薬ではありません。

 

私たちに必要なのは、体に生まれながらに備わっている「超健康」を発揮させるための教育です。私たちが頼らねばならないのは、医者や薬ではなく、体の中にある超人的なパワーです。

 

そのパワーを妨げるのではなく、最大限に発揮させてやるために、私たちがすべきことは、「生命の法則」に従って生きることです。すなわち、ホモサピエンスとしての人間の体に必要なものを与え、体を汚染させたり、体の機能を傷つけたりするようなものを、体の中に取り込まないこと、ただそれだけです。

 

 

【出典】「子供たちは何を食べればいいのか」松田麻美子著